お正月
私の小さい頃のお正月は、3ヵ日とも、町が死んだように静かだった。 今と違って、開いているお店なんて1軒もない。 もちろんママのお店も休みだ。 私はこの静かなお正月が大嫌いだった。 近所の友だちとも遊べない。 お年玉も常日頃から人にお金を貰っていた私にとっては 全く特別なことではなく、嬉しくなかった... 続きをみる
あたたかい家族ごっこ
昔は、近所の子どもたちは家の前の狭い道で年齢関係なく一緒に遊んだものだ。 小さい時は広い道のように感じたが、 大きくなってそこへ行ってみると、 端から端まで大きく3歩で渡れたのには自分でも驚いた。 そんな狭い場所で10人くらいがひしめき合って遊んでいたんだ! 上は小学校高学年、下は幼稚園児まで。 ... 続きをみる
贅沢
子どものいないママは私のことを本当にかわいがってくれた。 でもその愛情表現は物を買い与えることでママ自身が満足していたように思う。 欲しいおもちゃはほとんど買ってもらえた。 テストでいい点を取ったとか、通知簿の成績が良かった時とか、学級委員に選ばれた時も買ってもらえた。 逆に、誕生日プレゼントだと... 続きをみる
アフター
ママのお店は繁盛していた。 毎月20日のみが休みなのだが、20日もお客さんが来て、 ママはせっかく来てくれたお客さんを無下にもせず対応していた。 昼間はママもばあちゃんもお店に出す料理を仕込み、母は全室の掃除をしていた。 私は母になって、子どもを毎日公園へ遊びに連れて行ったが、 私は公園へ連れて行... 続きをみる
ばあちゃんのこと
ばあちゃんは明治生まれで、 私にとって戸籍上は曾祖母になるが、 本当は母の母である。 何人も子どもを産んで、半分以上が戦争や病気で亡くし、 本当に辛かったことと思う。 背が小さく体は丸く、コロンとした体型だった。 お腹がまん丸で、 「スイカが入っている」っ言葉を信じていた。 髪は生まれてから切った... 続きをみる
母のこと
母も田舎育ちで、末っ子で、のんびりとした性格である。 父と母の性格はまるっきり反対で、 どうしてお互いが惹かれて結婚に至ったのか謎である。 父と母は歳が離れているので、 父は母の頼りないところも可愛いと思ったのだろう。 母も父の「俺について来い!」みたいな 頼りがいのあるところに惹かれたのだろう。... 続きをみる
父のこと
父は小さな島で生まれた。 その島へ行くには私の住んでた町を朝早く出て、 飛行機を使ったとしても着くのは夜遅くになる。 海がとってもきれいで、青いと言うより群青色をしていた。 夜に海岸に寝そべっていると、流れ星がいくつも見えた。 父が小さい頃は島に中学が無く、本島の方に進学しなければいけないため、 ... 続きをみる
ママのこと
ママのことは怖かったけど大好きだった。 大正生まれだったが、背が168ほどあって、恰幅も良く、威圧感もあった。 若い頃の写真を見るととても美人でモデルさんのようだったの覚えている。 実際、性格も威圧感たっぷりの人で、 女で一人で商売を切り回し、繁盛させていた。 経営するお茶屋だけでなく、土地を買っ... 続きをみる
格差
それからも友だちのものを持って帰る盗み癖は続いた。 何度か親にバレて叱られ、叱られるときは頬っぺたを叩かれたので きっと「もうしません」の気持ちウソではなかったと思う。 でも何度も盗んだ。 半分くらいはバレて叱られた。 幼稚園の間は続いたと思う。 5歳の時に弟が生まれた。 その頃には父母もバーの経... 続きをみる
心がゆがんでいく
ママの仕事はお茶屋さん。 お茶を売っているわけではない。 家の2階はお座敷になった部屋がいくつもあって、そこにお客さんが入って行く。 今で言うところの、居酒屋の個室? 個室以外のテーブル席やカウンターは無いのだが…。 お客さんが指名した芸子さんも部屋に入って行く。 芸子さんはみんな優しくきれいだ。... 続きをみる
私の家族
少しずつではあるが、自分の生い立ちを書いていこうと思う。 文章は下手くそであるが、自己満足の世界で書かせていただきたい。 私が物心ついた時には、自分の家と母の姉に当たる伯母の家と行ったり来たりする生活を していた。 私には家が二つあると思っていた。 友だちにも二つあると言っていた。 逆に言うと私に... 続きをみる