馬酔木の生立ち

生立ちを少しずつ記録していきます。

ママのこと

ママのことは怖かったけど大好きだった。


大正生まれだったが、背が168ほどあって、恰幅も良く、威圧感もあった。


若い頃の写真を見るととても美人でモデルさんのようだったの覚えている。


実際、性格も威圧感たっぷりの人で、
女で一人で商売を切り回し、繁盛させていた。
経営するお茶屋だけでなく、土地を買って駐車場も経営していたし、
アパートのオーナーでもあった。


お金はたっぷりあり、私たちにも服やおもちゃをしょっちゅう買ってくれた。


父母が経営していたバーもたぶんママが出資したのだろう。


そんなバーもうまく行かなかった負い目があるのか、
それとも養子の立場だったからなのか、
父母はママには一目も二目も置いていたように思う。




小さいながらにうちの家族の地位の順位は、ママ、父、母、ばあちゃんだと感じていた。


ママはばあちゃんには本当にきつく当たっていた。


ばあちゃんは幼い私に「死にたい」「死にたい」とよく洩らしていた。
「死」に対して何の知識も感情も無い私は、
年寄りは早く天国へいきたいものなんだと思っていた。


私が高校の頃に、父方のばあちゃんが階段から転げ落ち、救急車を呼んだことがあった。
父方のばあちゃんは救急隊員さんに
「助けてください!助けてください!」と何度も叫んでいた。


ああ、この歳になっても死にたくないんだ…と
普通なら当たり前の気持ちなのだが、私はこの時初めて知ったことを覚えている。



ママのことは大好きだったが、やはり父母のことが1番好きだった。
父母の家は2DKの風呂も無い小さなアパートだったが
その家で弟と4人で寝ることが好きだった。


ママの家には風呂はあったが商売をしていたせいなのか、
家の風呂は使わずみんな銭湯へ行っていた。
私もママやばあちゃんと銭湯へよく行った。
お店が終わってからなので日付けが変わってからだ。
今思えば、よくまあこんな幼い子どもを夜中に連れて行ってたよなあ。


「子取りが来るから手を離したらダメ!」
って強く手を繋がれて真っ暗な道を歩いて行ったことを思い出す。


当時、「子取り」を鳥のことだと思って、
手を離したら空から飛んできた鳥にさらわれると思っていた。