馬酔木の生立ち

生立ちを少しずつ記録していきます。

母のこと

母も田舎育ちで、末っ子で、のんびりとした性格である。


父と母の性格はまるっきり反対で、
どうしてお互いが惹かれて結婚に至ったのか謎である。


父と母は歳が離れているので、
父は母の頼りないところも可愛いと思ったのだろう。


母も父の「俺について来い!」みたいな
頼りがいのあるところに惹かれたのだろう。


そう言う環境で育った私も「俺について来い!」みたいな男性でないと魅力を感じない。


母とママは親子ほど歳が離れており、
父と結婚して間もなく、ママ夫婦と養子縁組をしたようだ。


ママ夫婦は財産もたっぷりあったから、
父母とも乗り気で話はすぐにまとまったに違いない。




私は母のことも大好きだった。
とても若い母で、そのことが自慢だった。
そんなことを自慢しても何にもならないのに、
友だちにお母さんの年齢を聞いて、母の方が若かったら嬉しかったし自慢した。
たまに母より年下のお母さんがいると、腹が立った。
相手は若かろうがそうでなかろうが、どうでもいいことだっただろうに。
でも他に自慢できるようなことはなかった。


母自身も子どものような性格で、でも子どもの気持ちがわからない人だった。


小学校の時、みんな水筒でお茶を持って来ているのに、私は持たせてもらえなかった。
喉が渇くと水道の水を飲んだり、友だちのお茶を分けてもらったり。
家にも子どもが喉が渇いたらゴクゴク飲めるような番茶や麦茶などはなかった。


水筒を持って行かないと娘が困るって発想が母には無かったのだろうか。


ある日、友だちにお茶を貰おうと自分のコップを差し出したところ、
何日も洗っておらず、コップが茶渋だらけで恥ずかしい思いをしたことがあった。
台所の洗い場に出さなかった私が悪い。
自分で洗わなかった私が悪い。


でも親になった私は、
子どもがカバンから出さないお弁当箱を「もうっ!」って言いながらも洗ってやる。
「いい加減にしなさい!」と言いながら出すことを促す。


母はそう言うことをしない人だった。
子ども自身が恥をかいて思い知らせるような人だった。