馬酔木の生立ち

生立ちを少しずつ記録していきます。

ばあちゃんのこと

ばあちゃんは明治生まれで、
私にとって戸籍上は曾祖母になるが、
本当は母の母である。


何人も子どもを産んで、半分以上が戦争や病気で亡くし、
本当に辛かったことと思う。


背が小さく体は丸く、コロンとした体型だった。
お腹がまん丸で、
「スイカが入っている」っ言葉を信じていた。


髪は生まれてから切ったことが無いと言っており、
自分の身長と同じくらいの長さだった。


朝の身支度では、鉄のコテを台所のコンロで熱し、長い髪を挟んでウエーブを付けていた。
今で言うヘアアイロンだ。
ウエーブを付けた髪は上手に丸められ、うなじでお団子にされる。
その一連の作業を見るのが私は好きだった。


ばあちゃんの肌はとってもきれいで、
薬局で買ったグリセリンを塗るだけで、他は何も塗ってないのに色白で
つるつるの肌だった。
口紅すら塗っているのを見たことが無かった。


ばあちゃんも若い頃の写真を見るととっても美人で、ママもばあちゃんに似たのだろう。
母は決して美人とは言えない顔だった。
私も母の血を受け継いだと思う。





ママの家で寝る時は、いつもばあちゃんの布団で一緒に寝た。
ばあちゃんはおとぎばなしをしてくれたり、子守歌をうたってくれた。


♬ねんねんころりよ、おころりよ~
 坊やの・・・・どこへ行った
 あの山越えて里へ行った~


思いだ出せない…
誰かが蜂に刺される内容の歌詞だったような…




以前にも書いたが、
ママはばあちゃんに対してとってもきつく当たっていた。


幼い私はその原因を知ることもなく、
カースト制度に則って生活するにあたって
ばあちゃんは下位だから仕方がないものだと思っていた。


結局ママは、馬の合わないばあちゃんを追い出し、
ばあちゃんはママの弟の家に引き取られて行った。


今思えば、ママがどれだけきつくても、
お嫁さんのいるおじさんの家よりも
実の娘の家に居たかったに違いないのに。


小さいながらも、
「ばあちゃんがおらんくなったら寂しい」とか
「行かないでほしい」と言わなかった私は
ママと同罪のように思える。


それから数年後、ばあちゃんに
私より弟の方がかわいいと言われたのも仕方のないことだと思う。