ママの仕事はお茶屋さん。
お茶を売っているわけではない。
家の2階はお座敷になった部屋がいくつもあって、そこにお客さんが入って行く。
今で言うところの、居酒屋の個室?
個室以外のテーブル席やカウンターは無いのだが…。
お客さんが指名した芸子さんも部屋に入って行く。
芸子さんはみんな優しくきれいだ。
今の時代では祇園の舞妓さんや芸子さんが有名だが、
その芸子さんたちは着物姿ではあったが、
あのような髪を結っていたのはお正月くらいで、
みんなアップの髪型だった。
近くには芸子さんが住み込んでいる置屋さんがあったが、
ママの家には芸子さんは住んではいなかった。
弟が生まれる前の話だが、
サラリーマンだった父は仕事を辞め、母と一緒にバーを開くことになった。
もちろん夜の仕事だ。
この時、父母は幼い私のことを心配しなかったのだろうか?
ママの家に置いておけば、ひとまず安心だと思ったのだろうか。
確かに家の中に居れば、交通事故や人さらいに遭うことは無い。
しかし、ママもばあちゃんもお茶屋の仕事で忙しい。
毎夜毎夜、お茶屋の1階で私は一人で過ごしたのだ。
この時の私よ!
寂しくなかったのかい?
不安じゃなかったのかい?
そんな中、2階のお客さんの部屋に行ってお客さんからお小遣いをもらった記憶がある。
それも1回や2回ではない。
貯金箱が満タンになって開けたら3万円になっていたことがあった。
きっと、寂しくて勝手に2階に上がってママを追っていたのだろう。
かわいい仕草をすればお客さんがチップ替わりにお小遣いをくれたのだろう。
でも母よ!
私が子どもを産んであなたと同じ母の立場になったからこそ言わせてもらう。
自分の娘が不憫だとは思わなかったのかい?
心配ではなかったのかい?
私には考えられない「母」の行動である
この時期、私は通っていた幼稚園で友だちのコップを自分のカバンに入れて持ち帰ったことがある。
いわゆる盗っ人だ。
私の大好きな濃いピンク色で、取ってが象さんの形になっているものだった。
私はこの頃から心がゆがみ始めていたのだろう。
父に頬を叩かれこっぴどく叱られた。
「ごめんなさい。もうしません。」
でも盗み癖はこのあとも何度も続いた。