馬酔木の生立ち

生立ちを少しずつ記録していきます。

父のこと

父は小さな島で生まれた。
その島へ行くには私の住んでた町を朝早く出て、
飛行機を使ったとしても着くのは夜遅くになる。


海がとってもきれいで、青いと言うより群青色をしていた。


夜に海岸に寝そべっていると、流れ星がいくつも見えた。


父が小さい頃は島に中学が無く、本島の方に進学しなければいけないため、
12歳から親元を離れて生活していたとのことだ。


12歳と言ってもまだ子ども。
ごはんや弁当も作ってもらうし洗濯もしてもらって当たり前の歳。
私の子どもたちも私がするのが当たり前と思っていた年齢だ。


そんな頃から自立してまで勉学のために親元を離れたなんて、凄いことだと思う。


父から学生時代の話を聞くのが好きだった。
戦時中、疎開のため長い道のりを歩いている途中に終戦を迎えた話も聞いたことがある。




父は私には優しかった。
でもでカースト制度が出来上がっている私の家族の中では、
父はママには遠慮し、
母には強く、母に暴力をふるうことも何度もあった。


今でこそ暴力はいけないこととわかっているが、
そのカースト制度の中で育った私は、落ち度のある母が悪いと思っていた。


小さい頃母が、
父と母が別々に暮らすようになったら、弟はまだ小さいから母が連れていく。
お前はお姉ちゃんだから父といっしょに…
なんて言っていたことを思い出す。


また、少し大きくなった頃には、
お前は女の子だから母と、
弟は男の子だから父と…
と言われたこともあった。


母は何度も離婚を考えていたんだな。


小さい頃は父母が離婚すれば自分がどうなるのかもわからなかったし、
離婚と言う意味さえよくわかっていなかった。


数十年後、父が亡くなり、寂しむ母の姿を見ると腹が立つ。


いろんな意味で腹が立つ。

ママのこと

ママのことは怖かったけど大好きだった。


大正生まれだったが、背が168ほどあって、恰幅も良く、威圧感もあった。


若い頃の写真を見るととても美人でモデルさんのようだったの覚えている。


実際、性格も威圧感たっぷりの人で、
女で一人で商売を切り回し、繁盛させていた。
経営するお茶屋だけでなく、土地を買って駐車場も経営していたし、
アパートのオーナーでもあった。


お金はたっぷりあり、私たちにも服やおもちゃをしょっちゅう買ってくれた。


父母が経営していたバーもたぶんママが出資したのだろう。


そんなバーもうまく行かなかった負い目があるのか、
それとも養子の立場だったからなのか、
父母はママには一目も二目も置いていたように思う。




小さいながらにうちの家族の地位の順位は、ママ、父、母、ばあちゃんだと感じていた。


ママはばあちゃんには本当にきつく当たっていた。


ばあちゃんは幼い私に「死にたい」「死にたい」とよく洩らしていた。
「死」に対して何の知識も感情も無い私は、
年寄りは早く天国へいきたいものなんだと思っていた。


私が高校の頃に、父方のばあちゃんが階段から転げ落ち、救急車を呼んだことがあった。
父方のばあちゃんは救急隊員さんに
「助けてください!助けてください!」と何度も叫んでいた。


ああ、この歳になっても死にたくないんだ…と
普通なら当たり前の気持ちなのだが、私はこの時初めて知ったことを覚えている。



ママのことは大好きだったが、やはり父母のことが1番好きだった。
父母の家は2DKの風呂も無い小さなアパートだったが
その家で弟と4人で寝ることが好きだった。


ママの家には風呂はあったが商売をしていたせいなのか、
家の風呂は使わずみんな銭湯へ行っていた。
私もママやばあちゃんと銭湯へよく行った。
お店が終わってからなので日付けが変わってからだ。
今思えば、よくまあこんな幼い子どもを夜中に連れて行ってたよなあ。


「子取りが来るから手を離したらダメ!」
って強く手を繋がれて真っ暗な道を歩いて行ったことを思い出す。


当時、「子取り」を鳥のことだと思って、
手を離したら空から飛んできた鳥にさらわれると思っていた。

格差

それからも友だちのものを持って帰る盗み癖は続いた。
何度か親にバレて叱られ、叱られるときは頬っぺたを叩かれたので
きっと「もうしません」の気持ちウソではなかったと思う。
でも何度も盗んだ。
半分くらいはバレて叱られた。


幼稚園の間は続いたと思う。





5歳の時に弟が生まれた。
その頃には父母もバーの経営は辞めていたのだろう。
うまく行かなかったようだ。


弟はみんなにかわいがられた。
もちろん私も可愛がった。
大人たちにすれば、人のものを盗む子なんかよりよっぽどかわいかったに違いない。


姉弟の格差はこの頃から既に始まっていたと思う。
ずっと大人になるまで。


大人になってから母にこの「格差」についてたずねたことがある。
もちろん否定された。


そう言えば小学校高学年の頃だっただろうか。
ばあちゃんに、面と向かって言われたことがあったっけ。
弟の方がかわいいと。


そんなこと言われるくらい、私って憎たらしい子どもだったんだろうな。